東京地方裁判所 昭和42年(わ)782号 判決 1967年11月08日
被告人 石田寿一 外五名
主文
被告人石田寿一、同水田一誠を各罰金二万円に、
被告人魚谷俊永を罰金一万五〇〇〇円に、
被告人高橋孝吉、同阿部洋、同伊川厳夫を各罰金一万円に、
それぞれ処する。
被告人らにおいて、右罰金を完納することができないときは、五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。
訴訟費用中証人黄川田昭夫、同茂垣之吉に各支給した分は、その六分の一ずつを全被告人の各負担とし、証人小林保徳、同斉藤昇、同川上浩、同山口紘一に各支給した分は、その二分の一ずつを被告人石田、同魚谷の各負担とし、証人金井精一、同塙登、同小島勝視、同佐々山泰弘に各支給した分は、その五分の一ずつを被告人阿部、同魚谷、同水田、同高橋、同伊川の各負担とし、証人柳内春昭、同福田勝利、同川原春雄、同園田良一、同上本雅之に各支給した分は、その四分の一ずつを被告人阿部、同魚谷、同水田、同高橋の各負担とする。
理由
第一、当裁判所の認定した事実
(事件の背景)
日本国政府は昭和二六年以来、大韓民国(以下韓国と略称する。)政府との間に両国間の諸懸案の解決、国交正常化を図る目的で、予備会談を始めとする数次にわたる本会談(いわゆる日韓会談)等の各種交渉を重ね、紆余曲折を経て、昭和四〇年六月二二日、ようやく「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」以下四協定、交換公文を含む、いわゆる日韓条約を正式調印し、同年一〇月五日召集の第五〇回臨時国会において、同条約の承認を求めるとともに、その発効に伴う関係三法律案の可決成立を期することとなつた。右日韓条約に対しては、社会党、共産党、その他の革新団体等を初めとするいわゆる革新勢力や国民の間に、右日韓会談の段階当時から、韓国政府の性格、その条約締結権限等を問題とするとともに、これが日米安保体制を補完し、米国のアジアにおける戦略体制の一環としての日韓軍事同盟の役割を果たし、日本を戦争に巻き込む危険性をもつとともに、これによつて、日本の独占資本が韓国に経済的に進出し、太平洋戦争前のいわゆる植民地支配を復活しようとするものであつて、南北に分裂している朝鮮の一方の政府とだけ国交を図ることは、分裂固定化の片棒を荷うことになり、韓国内に強い反対論のある現段階では締結すべきでない等々の根強い反対論があつた。そして、これらの人々はしばしば集団行動その他によつて反対の意思を表明していたのであるが、更に右条約締結後の韓国国会における同条約の審議状況等が伝わり、同条約の内容の解釈自体についても韓国政府の管轄権の範囲、いわゆる李承晩ラインの存廃、竹島帰属の問題、日本と北朝鮮との外交関係に同条約が及ぼす影響、その他重要な諸点について、日韓両国政府の公式見解の間に著しい喰い違いがあるとして右日韓条約に反対する運動はますます強まり、新聞等のマスコミ、世論も同条約については右国会において慎重審議を求めていた。
このような情勢の中にあつて、政府は、一方で国会に対し慎重審議を要請するとともに、他方強行採決をも辞さない強い構えで臨むこととし、第五〇回臨時国会は、召集第一日の一〇月五日、早くも、異例の採決により、会期を七〇日と決定し、衆議院には「日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会」いわゆる日韓特別委員会が設置され、同委員会は、同月二五日から実質審議に入つたが、翌二六日には、同委員会を連日開く動議が抜き打ち的に可決され、一一月一日には、社会党議員等が公聴会開催を求めていたのに対し、参考人の意見をきく旨の動議を強行可決し、遂に同月六日、右条約等の承認に関する案件も議場騒然たるうちに強行可決され、衆議院本会議においては一〇月二一日提案趣旨説明の後、若干の質議が行なわれたのみで、その後は閣僚に対する不信任決議案等の審議に終始し、同条約については殆んど何らの審議がなされぬまま、一一月一二
日、抜き打ち的に強行可決されたため、新聞の論調は議会民主主義の危機であるとして非難するものが多かつた。更に、翌一三日からは舞台を参議院に移し、日韓条約等特別委員会を設置し、同委員会では一一月二二日から実質的な審議に入り、ほとんど連日審議が続けられていた。
被告人らは、当時いずれも学生であつて、右日韓条約に反対しており、右条約批准反対、国会に対する抗議の意思は、団結した集団行動によつてこそ、真に表明しうるとの見地から、左記(罪となるべき事実)各掲記の各集団行動に参加したものである。
(罪となるべき事実)
一、一〇・五事件
被告人石田寿一、同魚谷俊永は、昭和四〇年一〇月五日、東京都港区芝公園二三号地において開催された、東京都学生自治会連合(以下都学連と略称する。)主催の「日韓批准阻止全都学生総決起集会」と名づけた集会終了後、右集会参加者を中心として、同日午後三時五〇分ころから、同四時五〇分ころまでの間、右公園から同都港区北芝中学校角、同区愛宕下、同区神谷町、同区虎の門、同区赤坂見付各交差点を経て、同都千代田区紀尾井町三番地清水谷公園に至る間の道路上において行なわれた集団示威運動に、学生ら約一、七〇〇名とともに参加したものであるが、右集団示威運動については、同年九月二五日、都学連委員長山本浩司を主催者とする、昭和二五年東京都条例第四四号、集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下、都公安条例と略称する。) 第一条所定の許可申請が、山口紘一より東京都公安委員会になされ、同委員会は、同年一〇月一日、交通秩序維持に関する事項として「だ行進、うず巻き行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、あるいは先行てい団との併進、またはいわゆるフランス・デモ等交通秩序をみだす行為をしないこと」等の別紙(一)の条件を付して、これを許可していた。しかるに、右集団示威運動に参加した学生中、東京大学、立正大学、慶応大学の学生を主とした第一てい団、早稲田大学、成蹊大学、国際基督教大学、日本女子大学の学生を主とした第二てい団は、右一〇月五日午後三時五〇分ころより同四時一〇分ころまでの間、港区北芝中学校角、同区愛宕下、同区西久保巴町各交差点付近路上の三ケ所において、かけ足のだ行進を行なつたが、その際、被告人石田、同魚谷は、他数名の学生と意思相通じて、終始右第一、二てい団の先頭列外付近に位置し、笛を吹き、先頭隊伍が横に構えて所持する竹竿を握るなどの方法で右第一、二てい団の誘導に当り、もつて前記許可条件のうち「だ行進をしないこと」との許可条件に違反して、集団示威運動を指導したものである。
二、一一・二六事件
(一) 被告人水田一誠、同高橋孝吉、同魚谷俊永、同阿部洋は、昭和四〇年一一月二六日、東京都新宿区霞ケ丘一番地明治公園において、原潜阻止、日韓条約粉砕全国実行委員会、安保破棄中央実行委員会の共催による「日韓条約粉砕国民統一行動中央集会」と名づけた集会終了後、同日午後七時二〇分ころから右集会参加者を中心として三つのコースに分れて行なわれた集団行進ないし集団示威運動のうち、日比谷(国会)コースと呼ばれた同公園より同都港区青山四丁目、同区青山一丁目、同区赤坂見付、同都千代田区平河町各交差点を経て、同区永田町小学校裏に至る間の道路上で行なわれた集団示威運動、及び、右永田町小学校裏より同区参議院第二通用門前、同区参議院議員面会所前、同区衆議院議員面会所前、同衆議院通用門角、同衆議院南通用門前、同区大蔵省裏、同区外務省角を経て、同区日比谷公園西幸門に至る間の道路上において行なわれた集団行進に、学生約九〇〇名とともに参加したもので集団示威運動については、同月二二日、前記全国実行委員会大柴しげ夫、前記中央実行委員会堀真琴の両名を主催者とする、都公安条例第一条所定の許可申請が、東京都公安委員会に対してなされ、同月二四日、同委員会は、交通秩序維持に関する事項として、「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、すわり込み、あるいは先行てい団との併進、追越しまたはいわゆるフランス・デモ等交通秩序をみだす行為をしないこと」等の別紙(二)の条件を付してこれを許可していた。しかるに三個てい団に分れて右集団示威運動に参加した学生らは、右一一月二六日前記明治公園を出てまもなく、国学院大学前付近路上において、第一、第二てい団の二個てい団が約二二列となつて併進し、そのあとから第三てい団が進行を続け、午後七時三五分ころ、右港区青山四丁目交差点において、同交差点一面にわたるかけ足のだ行進うず巻行進を数回行ない、さらに同日午後七時四三分ころ、同区青山北町三丁目井上楽器店前路上において、約三〇列となつて三個てい団併進の集団示威運動を行なつたが、その際、右被告人四名は、他数名の学生と意思相通じて、右明治公園より右青山一丁目交差点に至る間の道路上において、終始三てい団に分れた学生隊列の先頭列外付近に位置し、こもごも後向きもしくは前向きとなつて、学生隊列に向つて手で合図をし、笛を吹き、掛け声を掛け、発進、停止を指示し、あるいは、先頭隊伍が横に構えて所持する竹竿に両手をかけ引つ張り、他の学生の肩車に乗つて電気メガホンを使用して呼びかける等の方法で右学生隊列の誘導に当り、前記許可条件のうち、「だ行進、うず巻行進をしないこと」との許可条件に、尚被告人魚谷は前記国学院大学前付近路上において第二てい団をして第一てい団との併進を、被告人阿部は前記井上楽器店前付近路上において第三てい団をして先行する第一、第二てい団との併進をさせて、それぞれ「先行するてい団との併進をしないこと」との許可条件に違反して集団示威運動を指導したものである。
(二) 被告人伊川厳夫は、同日午後七時五五分ころ、右(一)の集団示威運動が右青山一丁目交差点を通過するころよりこれに参加したものであるが、右集団示威運動及び、右永田町小学校裏からの集団行進の解散地点である同都千代田区日比谷公園西幸門に至つても、依然として警察機動隊による併進規制措置が解除されず、学生隊列は、右解散地点を通過し、同都中央区新幸橋方向に進み、同九時七分ころ、同区新幸橋ガード下付近でようやく右併進規制が解除された。右行進に参加していた学生らはおおむね、同所先交差点を左折し、同都中央区数寄屋橋交差点方向に走つて行つたが、同九時一五分ころより同九時二二分ころまでの間、同区銀座西二丁目一番地報知新聞社別館前付近路上より同都千代田区丸の内二丁目一番地東京駅八重洲口南口前に至る間の道路上の一部において、かけ足によるだ行進およびフランス・デモの形態を含む集団示威運動を行つたが、その際、同被告人は、他数名の学生と意思相通じて終始右集団示威運動の集団先頭部分に位置し、前向きもしくは後向きとなつて、笛を吹き、両手で集団に向い合図をする等の方法で、右かけ足によるだ行進等を誘導し、もつて右学生らの右無許可の集団示威運動を指導したものである。
第二、証拠の標目<省略>
第三、法令の適用
被告人石田の判示一、同魚谷の判示一、および二の(一)、同水田、同高橋、同阿部の判示二の(一)の各所為はいずれも昭和二五年東京都条例第四四号、集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例第五条、第三条第一項但し書、刑法第六〇条に、被告人伊川厳夫の判示二の(二)の所為は同条例第五条、第一条、刑法第六〇条に各該当し、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、被告人魚谷の判示一の罪と、判示二の(一)の罪とは、刑法第四五条前段の併合罪の関係に立つから、同法第四八条第二項により合算した罰金額の範囲内で処断することとし、各所定罰金額の範囲内で、被告人石田、同水田を各罰金二万円に、被告人魚谷を罰金一万五〇〇〇円に、被告人高橋、同阿部、同伊川を各罰金一万円に、それぞれ処することとし、同法第一八条により、被告人等において右罰金額を完納することができないときは、それぞれ金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用の負担については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して証人黄川田昭夫、同茂垣之吉に各支給した分はその六分の一ずつを全被告人の各負担にし、証人小林保徳、同斉藤昇、同川上浩、同山口紘一に各支給した分はその二分の一ずつを被告人石田、同魚谷の各負担とし、証人金井精一、同塙登、同小島勝視、同佐々山泰弘に各支給した分はその五分の一ずつを被告人阿部、同魚谷、同水田、同高橋、同伊川の各負担とし、証人柳内春昭、同福田勝利、同川原春雄、同園田良一、同上本雅之に各支給した分はその四分の一ずつを被告人阿部、同水田、同魚谷、同高橋の各負担とする。
第四、当裁判所の判断
当裁判所は、検察官、弁護人、被告人等の各主張を逐一検討したうえで前記結論に達したものであるが、以下本件に必要な限度においてこれら主張に対する判断を加えながら当裁判所の見解を示すこととする。
一、当裁判所の基本的態度
都公安条例の憲法第二一条適否については、すでに昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決が出されておるところであるから、当裁判所としては右最高裁判所大法廷判決における判断を尊重し、ただ、判旨が必ずしも明確とはいえない点の判断については、適宜同裁判所がいわゆる公安条例に関するリーデイングケースとして判決し、右昭和三五年の判決においてもなお、その根本原則を採用していると認むべき、同裁判所昭和二九年一一月二四日昭和二四年新潟県条例第四号行列行進集団示威運動に関する条例(以下、新潟県公安条例と略称する。)違反被告事件につき示した判断等を参酌して、これを解釈して行くこととする。
昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決は、第一に、都公安条例の規制対象である集会、集団行進、集団示威運動(以下これらを総称する場合には、集団行動という。)は、表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しており、従つて、そのような危険性に対処し、そのような危険性ある行動を事前に予知し、不慮の事態に備え、適切な措置を講じうるようにすることが必要とされること、第二に、そのために必要とされる最少限度の措置が如何なるものであるべきかは、条例全体の精神を実質的、有機的に考察すべきであつて、かかる観点に立つて、本条例をみると、集団行動を行なおうとする者に対して許可申請を義務づけている点は、実質において届出制と異なるところがなく、従つて、この程度の規制は、必要最少限度のものとして是認しうること、第三に、運用の如何によつては、表現の自由の保障を侵す危険性はあるが、だからといつて、条例自体をこれが故に違憲とはなしえないこと、大要以上のように判示したのである。
さらに、右において、集団行動を行なおうとする者に対して許可申請を義務づけている点を、実質において届出制と異るところがないとしているのは、同裁判所が先に判決した新潟県公安条例に関する右昭和二九年の判決において「行列行進又は公衆の集団示威運動は公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらない限り、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなくて一般的な許可制を定めて、これを事前に抑制することは憲法の趣旨に反し、許されない」とした、この種の自由とその規制に関する根本原則を追認し、これに則つているものであると認められる。
従つて当裁判所は、本来国民の自由とする集団行動による表現の自由の保障を最大限に尊重しつつ、都公安条例の趣旨、目的については、昭和三五年最高裁判所判決における判断の線に沿つて、実質的、有機的に判断するとともに、いやしくも、濫用に亘ることのないよう厳格に、かつ、都公安条例をして実質的届出制として機能するように解釈すべきものと考える。このような観点に立つて、本条例を解釈すると、その基本的諸点は次のように解しなければならない。
(一) 集団行動の意義について
都公安条例に云う集会、集団行進、集団示威運動の区別は以下に述べるように、本来相対的なものであつて、これを取締の便宜等のために、峻別するようなことがあつてはならない。即ち、集会とは、集団行動のうち、通常場所的移動を伴なわない人の集合を指称する観念であり、集団行進とは、集団行動のうち、場所的移動を前提とし、かつその形態が行進によるものを指称する観念であり、集団示威運動とは、集団行動のうち、その性格に着眼し、特に思想等を一体となつて外部に対して表明するための手段とされるものを指称すると解される。
従つて、集会として場所的移動を予定しない人の集合体であつても、これが外部に対する一致した意見の表明のための手段である限りは、それは集団示威運動と解せられるのみならず、集団行進だからと云つて、示威を目的としてはならないいわれはなく、通常我々が日常語でデモと云つているものの多くは、集団行進の形態をとつた集団示威運動であると云わねばならない。このように、これら三者の観念は相対的であり、相互に重複する観念であつて、都公安条例第一条で規制の対象としている範囲が異なるにすぎないものと認められる。従つて、いたずらにこれら三者の観念を峻別し、許可条件を以つて区別し、取締りの便宜を図るようなことは厳に慎まねばならない。
(二) 許可申請の時間的制限について
都公安条例が第二条において、集団行動を行なおうとする者に対し、実施の七二時間以前に許可申請をなさねばならないとしたのは、警察その他の行政当局に集団行動の行なわれることを事前に予知せしめ、不慮の事態に備え、適切な措置を講じうるに足る時間的余裕を集団行動実施前に置こうとする趣旨に出たものであるからその規模等に照らし、このような時間的余裕をもつて許可申請がなされたものたることを必要とするが、必ずしも全ての場合に機械的に七二時間前であることを要すると解さなければならないいわれはない。
(三) 都公安条例に云う許可申請、許可の意義について
都公安条例においては、右に述べたように集団行動について一般的禁止を前提とするものではないから、許可申請及び許可というも、講学上いわれるものとは別個のものとして把握しなければならない。すなわち、許可申請とは、東京都公安委員会(以下、公安委員会と略称する。)に対し、集団行動のあるべきことを事前に通知することであり、これに対し許可とは、許可申請を経由すべき集団行動について、直接かつ明白な危険のなかるべきことを確認する行為であると解される。従つて、仮りに、集団行動実施予定の二四時間以前に許可、不許可の通知がなかつたような場合には当然許可があつたものとみなして行動して差支えないものと解される。
(四) 都公安条例第五条について
無許可集団行動の指導、煽動行為を処罰する根拠について
都公安条例第五条が第一条の許可をうけないで行なわれた集団行動につき、主催者のみならず、指導者又は煽動者をも処罰する旨規定していることは弁護人主張のとおりであるが、右にいう無許可の集団行動のうち、許可申請をしたが不許可となつた場合には、公安委員会の右判断が正当な限り、このような集団行動は実質的にも違法という外ないのであつて、これを主催した主催者は勿論、指導者、煽動者も違法な集団行動を指導し煽動したものとして処罰されるものといわなければならない。ところが、許可申請すらしなかつた集団行動にあつては、その主催者のみならず、指導者、煽動者も処罰される根拠につき、なお検討を要する問題を含んでいることはこれまた弁護人の指摘するとおりである。ところで、都公安条例にいう許可申請とは、本来平穏に秩序を重んじてなされるべき集団行動が時に表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しているが故に、警察その他の行政当局に集団行動の行なわれることを事前に予知せしめ不慮の事態に備え、公共の安寧を保持するにとつて適切な措置を講じさせるための事前の通知であることは前述したところであつて、許可申請のなされない集団行動は、行政当局をして集団行動に対処せしめるための通知を怠つている点において、たとえ集団行動自体は平穏に秩序を重んじて行なわれたものであるとしても、なおその主催者において許可申請義務懈怠という瑕疵、すなわち、形式的違法性の存する集団行動であるといわなければならない。しかも同条例第二条が集団行動についての許可申請は主催者から出されることを要するとしたのは、主催者は集団行動を行なうにあたつて発起人として当該集団行動における責任者と認められるからに外ならないと解すべきところ、許可申請のない集団行動にあつては、このような意味における責任者が明らかにされることのない場合に、その指導者は集団行動の実施計画の具体的な決定にあたるか、あるいは集団行動参加者を掌握し自らの意思に基いて集団行動の性格を決定するものとして、又煽動者は他人に対し集団行動を実行する意思を生じさせ、あるいは決意を助長させる勢いのある刺激を与えるものとして、いずれも当該集団行動を自らの責任において主催するものと同一の立場にあると解される。したがつて、許可申請のない集団行動にあつては、たとえその集団行動自体は平穏に行なわれたとしても、指導者、煽動者は、少なくとも右の意味における主催者と同一の範囲内において、その責任を問われるべき場合があるのであつて、ここに処罰の根拠が存するものといわなければならない。このようなものとして解する限り、都公安条例が実質的にも許可主義をとつているとの弁護人の非難はあたらないのみか、前記昭和二九年一一月二四日最高裁判決が「行列行進、又は公衆の集団示威運動は公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらない限り、本来国民の自由とするところである。」とした趣旨にも牴触するところがない。
二、被告人石田、同魚谷、同阿部、同水田、同高橋に対する各訴因についての判断
(一) 許可条件について
(1) 都公安条例第三条第一項但書にいう許可に際しての条件は、講学上いわゆる付款(負担)と云われるもので、許可条件を設定する行政行為は許可、不許可の処分とともに、等しく法規裁量として、司法審査の対象となることは云うまでもなく、また、同条例第五条の犯罪構成要件を設定する行為として、憲法第三一条の罪刑法定主義の要請からも厳格な批判の対象とされなければならない。
(2) そこで、まず、このような許可条件を設定することを許容する都公安条例第三条第一項但書自体、表現の自由を不当に侵害するものであつて憲法第二一条に違反するとの主張について検討すると、集団行動は、表現の自由の行使として、本来国民の自由とするところではあるが、公共の福祉の見地から制限される範囲の存することは、この種の自由権の内在的制約として明らかである。都公安条例では、その制約の限界点として、集団行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合には許されないと規定しているのであつて、このような規定を目して、必ずしも憲法第二一条に違反するものではないと解される以上、ある集団行動が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合ではないが、さりとて、許可して、そのまま当該集団行動が実施されるに至る場合には、公共の安寧を保持する上で、危険が発生するに至る蓋然性が顕著であるとするときに、そのような危険の発生を抑えるに必要な最少限度の規制を当該集団行動に対して課することも、また、これを刑罰をもつて担保することも、必ずしも憲法第二一条に違反するところの、表現の自由に対する侵害であるとは、云いえないのであつて、都公安条例第三条第一項但書はこのような場合に、このような目的達成のために必要な最少限度の許可条件を付することを許容したものとして理解されなければならない。許可条件を設定しうるのは、右の限度においてであると解すべきことはここでいう許可条件が、集団行動の実施にあたり、その実施方法、態様等、まさに、集団行動自体を直接規制するものであつて、その違反に対しては、同条例第四条に規定する即時強制が行なわれ、更に、第五条により、類似の行為を規制対象とする道路交通法や昭和二九年東京都条例第一号騒音防止に関する条例に比較して相当に厳しい刑罰が課されていることに照らしても明らかである。そして、このようなものとして都公安条例第三条第一項但書が解釈され、運用される限り、憲法第二一条に違反するところはない。
(3) 弁護人は、「都公安条例においてはどのような場合に如何なる許可条件を付しうるかが条例自体において明らかにされていないのであつて、許可条件は公安委員会によつて恣意的に作られる建前になつている。したがつて、このような都公安条例第五条、第三条第一項但書の規定は、罪刑法定主義の原則に反し、憲法第三一条に違反する。」と主張する。なるほど、都公安条例第五条、第三条第一項但書は、犯罪構成要件の定立を公安委員会の許可条件付与処分に委ねている白地刑法であることは弁護人の主張するとおりであり、しかも、都公安条例第三条第一項但書自体は、単に、「但し、次の各号に関し、必要な条件をつけることができる。」として、一号ないし六号の事項を掲げるのみであるから、これを字義通り解釈する限り、右規定により、公安委員会は、右各号に該当する限り、大小さまざまなものを、必要と認める限りにおいて、如何ようにも付しうるように解せられ、その限りで恣意の入り込む余地が極めて大きいと云わなければならないのであつて、この点極めて不備な規定であるとの非難は免れない。しかしながら、ここにいう許可条件を設定する行政処分(付款を付する行為)は、それが犯罪の構成要件を設定する行為であることからして、当然厳格な法規裁量の性格をもつとともに、無条件の集団行動の実施が公共の安寧を保持する上で危険が発生するに至る蓋然性が高度であるときに、そのような危険の発生を抑えるに必要な最少限度においてのみ許可条件を付しうるものであることは、既に論及したところであつて、公安委員会の恣意を許すものではない。しかも、何がこのような許可条件として許容されるかを、都公安条例自体において前もつて予め想定し、列挙することが望ましいのは、云うまでもないところであるが、それは極めて困難であつて、当該集団行動のもつ性格、規模、日時、場所等を具体的に判断して定める外ないものであること、集団行動の行なわれる前に具体的に許可条件が示されることによつて犯罪構成要件が補充され、従つて集団行動の時点においては、どのような行動が許可条件として禁止されるものであるかが明瞭となることに徴すれば、許可条件の設定を白地的に公安委員会の判断に委ね、その違反に対して刑罰を以て臨んでいる本条例の規定自体を目して直ちに憲法第三一条に違反するものと断定することはできない。
(4) 右のような立場に立つて、いかなる許可条件を付しうるかについて検討すると、都公安条例第三条第一項但書にいう許可条件は、右の危険を除去するに足る必要最少限度のものであつて、しかもその危険に直結するような行為を対象とすべきであると云う外はない。そして、都公安条例の規制の趣旨が、表現の自由を最大限に尊重しながらも、その逸脱に対して必要最少限度の措置を講じようとするものであることからすれば、不必要に集団行動から表現の自由を奪う許可条件は、それ自体憲法第二一条の保障を侵すものとして、ゆるされないことは勿論、必要な限度を超えて、集団の内部的事項に介入するような許可条件を付することもゆるされないといわなければならない。
ところで、道路における集団行動については、道路交通法令との関係から、都公安条例第三条第一項但書第三号の「交通秩序維持に関する事項」として設定しうる許可条件としては、なお、以下のような制約があると解される。
即ち、道路交通法(昭和三五年法律第一〇五号)は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図る目的をもつて、第七六条において道路における交通の危険を生じさせ、又は著しく交通の妨害となるおそれがあると認められる行為を禁止し、第七七条において、道路の使用の許可を受けるべき場合ならびにそれに伴なう所轄警察署長の措置を定め、第七八条において、その許可の手続を規定しているのであるが、道路において行なわれる集団行動もまた右規制の対象となることは、右法条の趣旨並びに同法第七七条第一項第四号の規定による委任立法として制定された東京都道路交通規則(昭和三五年公安委員会規則第九号)第一四条の規定からも明らかである。すなわち、都公安条例の規制対象である集団行動は、それが道路、すなわち、一般交通の用に供する場所で行なわれる限り、道路交通法第七七条第一項第四号、東京都道路交通規則第一四条第一号の規制対象でもあるという関係に立つのであつて、一般交通の用に供する場所で行なわれる集団行動には、道路交通法規と、都公安条例との二つの法規が規制しているのである。
このように、同一対象について、複数の法規が存在することは、それ自体特に珍しくなく、法条競合あるいは、観念的競合として、処理されるのが通例であるが、本件においては、一方は、国の法律であるのに対し、他方は地方公共団体の条例であるところになお問題があると云わねばならない。
都公安条例が、憲法第九四条の規定をうけて制定された地方自治法第二条第二項、第三項第一号の事務を処理するため、同法第一四条に基づいて制定された自治立法であることは疑いを容れないところであるから、道路における集団行動については、一方で、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図る目的、換言すれば道路交通秩序維持のための規制があり他方、地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持する目的から、都公安条例をもつてする規制が存することになるのであつて、道路における集団行動は道路交通法なる国の法律と、地方公共団体の自治立法たる条例との共管事項であると解さねばならない。
ところで、このような共管事項について、国の法令により、一定の規制をなしている場合には、その法令と同一趣旨、目的をもつてする異なつた規制を地方自治立法をもつてなすことは、もはや許されないところであり、仮りに、そのような地方公共団体の条例等が存在したとしても、形式的効力を欠いたものと認めねばならないことは、地方自治法第一四条第一項が「普通地方公共団体は法令に違反しない限りにおいて……条例を制定することができる。」と規定していることから云つて明らかなところである。そうだとすれば、都公安条例はそれが交通秩序に関する事項を規制する場合であつても、それは地方公共の秩序を維持し、住民および滞在者の安全、健康及び福祉を保持することを主眼とするものであつて、道路交通法とは別個の趣旨、目的をもつたものとしか理解しえないのであるから、右のうちには、単なる道路交通秩序の維持を目的とする趣旨は含まれていないものと解さねばならない。
このような解釈のもとにおいては、都公安条例第三条第一項但書第三号に規定する交通秩序維持に関する事項として、公安委員会が許可条件をもつて定めうるのは、道路交通秩序を乱すことによつて、直接に公共の安寧に対する危険を惹起するに至るような行為であつてはじめて、公安条例の許可条件による規制の対象となるものと云わねばならない。
(二) 本件起訴の前提となつた許可条件について
被告人石田、同魚谷に対する昭和四〇年一〇月一六日付、被告人阿部に対する同年一二月四日付、被告人水田、同高橋、同魚谷に対する同月六日付各起訴にあつては、被告人らが集団示威運動をなすにあたり、別紙(一)、(二)の各許可条件が付されていたが、右許可条件のうち、被告人石田、同魚谷は昭和四〇年一〇月五日の集団示威運動において、「だ行進をしないこと」との許可条件に、被告人阿部、同魚谷は同年一一月二六日の集団示威運動において「ことさらなかけ足行進、だ行進、うず巻き行進、先行てい団との併進をしないこと」との許可条件に、被告人水田、同高橋は同日の集団示威運動において「ことさらなかけ足行進、だ行進、うず巻き行進をしないこと」との許可条件に、それぞれ違反して集団示威運動を指導したものであるとして起訴されたものである。
ところで、被告人等のこのような行為を規制する許可条件が、はたして、単なる道路交通秩序の維持を目的とするにとどまらず、前記の如き道路交通秩序を乱すことによつて直接に公共の安寧に対する危険を惹起するに至るような行為を規制するための許可条件であるといいうるか否かについて考察するならば、少なくとも、右のうち、だ行進、うず巻き行進、先行てい団との併進は、それ自体交通秩序の混乱をもたらすことが必至であるにとどまらず、しかも、このような混乱は、通常の集団の道路使用によつてもたらされるものとは著しく形態を異にし、定型的にも、不測の事態に発展するおそれを有するものといわなければならないのであつて、この意味において、このような行為を規制する許可条件を付することは、そのおそれが存する限りやむをえないものといわなければならない(なお、右起訴事実の訴因のうち、ことさらなかけ足行進を指導したとの点については後述する。)。
(三) 本件各集団行動の条件付許可処分の手続およびこれに伴なう警察の規制措置が違憲であるとの主張について
(1) 弁護人は「都公安条例第三条は許可条件の定立を公安委員会に委任しているが、公安委員会は内部事務処理規程、訓令により、これを警視総監、主管部長等の警察官に大幅に委任しており、しかも本件の昭和四〇年一〇月五日、同年一一月二六日の各集団行動に対する各許可条件も警視庁警備部警備課集会係によつて付されたことは明らかである。そもそもこのように許可条件という犯罪構成要件の定立が公安委員会に委ねられていること自体が違憲であるといわねばならないにもかかわらず、同委員会がさらにその権限を警察官に委任するが如きは、明らかに憲法第三一条に違反する。」と主張する。都公安条例第三条の、許可条件の定立を公安委員会にゆだねた規定が違憲であるとはいえないことは、既にふれたところであるから、公安委員会の権限委任の主張について判断する。
東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程(昭和三一年一〇月二五日都公委規程第四号、以下「公安委員会事務処理規程」と略称する。)、東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程(昭和三一年一〇月二五日訓令甲第一九号、以下「部長等の事務処理規程」と略称する。)東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程及び東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程の制定についてと題する通達(昭和三一年一〇月二五日例規甲(総務)第二七号、以下単に「制定に関する通達」と略称する。)、東京地方裁判所刑事第二六部公判調書中証人山田英雄の供述記載部分、第一五回公判調書中証人茂垣之吉の供述記載部分によれば、公安委員会においては、事務の迅速かつ能率的運営を図ることを目的として、法令又は条例に基く公安委員会の権限に属する事務の一部を警視総監以下の警察官に処理させることとしたが、集団行動の許可に関する事務については、重要特異な事項以外のものについては主管部長たる警備部長が公安委員会名をもつてこれを行ない、その結果は毎月とりまとめ公安委員会の承認をうける旨を定めていること、右の重要特異な事項については明文の規定はないが、(イ)、集団行動の申請に対する不許可処分、(ロ)、申請にかかる集団行動の進路、場所又は日時の変更を伴う許可処分、(ハ)、許可の取消処分、許可条件の変更処分、(ニ)、メーデー行事その他都下一円にわたる、または一〇万人を超えるような大規模な集団行動の許可処分が、これに該るものとして取り扱われていることが認められる。ところで、公安委員会は非常勤の委員よりなる行政庁でありながら、その円滑、能率的な事務処理を図るため、その事務処理を公安委員会に委ねた趣旨に反しない限り、自己の責任において、内部的決裁権を下部機関である警視総監以下の警察官に委ねることは、警察法第三八条第三項、第四四条、第四五条により、許容されているところというべく、しかも、「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例の取扱いについて」と題する昭和三五年一月二八日付警視総監通達、前記山田英雄、同茂垣之吉の各供述記載部分によれば、公安委員会決定によつて付すべき許可条件の内容が一応示されていること、警察官の付与する許可条件は公安委員会が前記の重要特異な事項にあたる集団行動を直裁する場合の許可処分において付与される許可条件と殆んど同じもので、定型化されたものであること(もつとも、その個々の条件がすべて適法なものであるとまで当裁判所が判断するものでないことは後述するとおりである。)が認められるのであつて、前記重要特異な事項については、明文をもつて明らかにすることが望ましいとはいえ、許可条件の付与処分自体は、公安委員会の指示に基づいて行なわれている現行の取扱いを目して公安委員会の権限にゆだねた趣旨に反するものとはいえない。従つて、右の手続自体を憲法第三一条に違反するものとは云えない。
(2) 弁護人は「公安委員会は、反日共系全学連に対しては国会周辺の集団示威運動、集団行進の双方とも一般的に禁止し、その他の団体に対しては国会周辺の集団示威運動を認めないという方針および決定を確立し、しかもこの方針を押しつける機能を果すことに終始している事前折衝においては、これが実質的には公安委員会の不許可処分もしくは一部変更許可処分であるのに、表面化することがないため、法律上の処分として、争う余地も都議会に対する報告義務も免れる結果となつている。さらに集団行動を実施する段階になると、警察官は適法な集会段階から集団行動が終るまで、情報収集と称して写真やメモをとり、高性能の拡声器を使用して不当な干渉を行い、些細な許可条件違反を理由に機動隊による併進規制を行ない、集団行動の実を奪うとともに、集団行動の参加者に暴行を働く等の違法な行為にでている。これはまさに表現の自由を保障した憲法第二一条および国民の請願権を保障した第一六条に違反する。」と主張する。
そこでまず、許可申請ならびに許可段階について考察すると、前掲証人茂垣之吉、同山田英誰の各供述記載部分、第一一回公判調書中証人上本雅之の供述記載部分、第一二回公判調書中証人山口紘一の供述記載部分を綜合すると、集団行動を行なおうとする主催者は、その許可申請書を開催地を管轄する警察署に提出することとされているが、国会周辺の道路における集団行動については、ほとんどの場合事前に警視庁警備部警備課集会係との間に、いわゆる事前折衝がもたれるのが慣例となつており、事前折衝のなされている割合は、昭和四〇年を例にとると、許可された集団示威運動一、二七七件中、一八〇件で、約一四パーセントにあたること、事前折衝の衝に当るのは主に集会係の係長、主任であつて、その折衝の模様は、まず集会係の方から、許可申請の集団行動の具体的内容、すなわち、その時間、場所、集団行動の規模、目的、責任者、参加団体等について説明を求め、次に、折衝に移り、時にはてい団の人員、行進隊形、宣伝カー等の台数等が折衝の対象とされたり、また、他の団体等の集団行動の申請が先になされている場合には、その関係等で、時間、場所等が折衝の対象とされることがあるが、しかし、最も問題とされるのは、集団行動の許可申請として予定されているコースについてであり、特にそれが国会周辺等一定のコースを予定している場合には、集会係から、開会中の国会周辺直近道路、外国公館特にアメリカ大使館付近を通過する示威的要素を含む集団行動は一切許可しないとの公安委員会の方針ならびに、反日共系全学連の行なう集団行動に対しては右国会周辺道路、外務省前、虎の門より桜田門の間の道路については、集団示威運動のみならず、集団行進としても許可しないとの公安委員会の方針にもとづき、この方針にそうような許可申請書の提出を促していること、右事前折衝において集会係の要望の線を受け入れないで前記公安委員会の方針に反する進路を記載して許可申請書を提出することは一応自由であるが、このような申請に対しては従来公安委員会において進路の一部を変更した上での許可処分、あるいは不許可処分がなされていること、本件一〇月五日の集団行動については、右のいわゆる事前折衝が山口紘一と同集会係長らとの間で行なわれ、山口紘一は当初九月二二日、同係を訪れ、清水谷公園を出発し、国会周辺を通過し、日比谷公園に至るコースを集団行進ないし、集団示威運動として許可申請したい旨申し入れたが、この際には、既に日共系の全学連が日比谷公園から国会周辺を通過し、再び同公園に戻るコースにより許可申請が出ているため、同係から、コースが競合する旨伝えられ、再考するとして別れ、再度九月二五日に同係を訪れ、芝公園二三号地を出発し、飯倉方面に向い、同所交差点を右折し、虎の門、特許庁前、首相官邸前から国会周辺に至るコースによる集団行進ないし集団示威運動の許可申請をしたい旨申し入れたのに対し、前記公安委員会の方針が告げられ、結局コースについての交渉が成立しなかつたため、山口としては、右方針に反して許可申請をすれば集団行動の前日に至り、コースを変更されたうえ、許可されることが予想され、その場合には、事前にコース等がわからないところから、当日の行動について、参加者に事前にコース等を明確に、責任をもつて提示することができず、また変更されたコースについてその周知徹底が容易でないこと等の不利益があることを考慮して、集会係の方針に従つて、国会周辺を通るコースを断念し、前記芝公園二三号地から清水谷公園に至る間の集団示威運動を許可申請するに至つたこと、また本件一一月二六日の集団行動については、一一月二二日、上本雅之、赤松宏一両名が集会係を訪れ、同係長茂垣らと事前折衝をなし、その際国会周辺直近道路を通過するいわゆる国会コースについては、永田町小学校裏から、日比谷公園に至る間は、示威的要素をもたない集団行進、いわゆる請願行進に切りかえることとして許可申請するに至つたことが認められる。
そこで、右のような事前折衝がどのような性格のものであるかについて考察すると、これは事実上の手続であつて、法的には何らの根拠はないが、右警視庁警備部警備課は、警視庁の組織上の事務分配を規定した警視庁組織規則によつて、「集会、集団行進及び集団示威運動の許可取扱いに関すること」が同課の所掌事務とされているところからして、その権限の範囲内で所掌事務に関し、事実上の勧告、助言、相談、指導等、相手方に対して強要ないし威圧にわたらない程度において、従つて相手方の任意の意思を害しない限り、これをなすことは必ずしも、許されない訳ではない。
もつとも、前記規定にかかる公安委員会の方針なるものの合理性ならびにその方針に基づいてとられる措置の適法性について検討するならば、前述した集団行進並びに集団示威運動のもつ意味、都公安条例の目的、進路変更許可決定のもつ一部不許可処分たる性質等に徴すれば、個々の集団行動を具体的に検討することなく、一律に国会周辺における集団示威運動ないし集団行進を禁止することは、都公安条例第三条の趣旨に違反するばかりでなく、憲法第二一条、第一六条等に違反するおそれが多分に存するものであることは疑いない。その意味において本件の各許可申請ならびに各許可手続にあつても、右のような誤つた方針に基づく、事前折衝により国会周辺のコースが全く許可されなかつたり、あるいはいわゆる集団行進としてのみ許可されたことは、いずれも不当な措置であつたといわなければならないが、本件における事前折衝において強要、威圧があつたものとは断定しえないこと、被告人等が違反した「だ行進、うず巻き行進、先行てい団との併進をしないこと」なる許可条件は、後述するとおり、もともと、右不当な事前折衝の有無に関わりなく、付しうべきものであつたと認められることに徴すれば、前記措置が不当だからといつて、被告人等の行為を正当化すべき理由はない。
次に集団行動の実施段階について考察すると、前掲証拠の標目挙示の各証拠、第五回公判調書中証人斉藤昇、同柳内春昭、同福田勝利の各供述記載部分、第一二回公判調書中証人川上浩、同原沢のり子の各供述記載部分、第一三回公判調書中証人佐々山泰弘の供述記載部分、第一〇回公判調書中被告人水田一誠の供述記載部分、第一一回公判調書中被告人高橋孝吉の供述記載部分、被告人魚谷俊永、同阿部洋の当公判廷(第一八回公判)における各供述を綜合すれば、本件の昭和四〇年一〇月五日ならびに同年一一月二六日の各集団行動に際し、集会並びに集団示威運動の終了に至るまで終始警察官による写真撮影、メモ等の採証活動、広報車からの多数回にわたる警告および一般人に対する広報が行なわれるとともに、警察機動隊による併進規制が行なわれたのちにおいては、警察官による集団運動参加者に対する暴行行為がなされたかのような強い疑いがあること、昭和四〇年一〇月五日の集団示威運動にあたつては前記認定のとおり集団示威運動参加者によるだ行進が三箇所で行なわれた後、西久保巴町付近から警察機動隊による併進規制が行なわれるに至つたこと、同年一一月二六日の集団示威運動ならびに集団行進にあつては、前記認定のとおり集団示威運動ならびに集団行進参加者によるだ行進、うず巻行進、併進等が行なわれたのち、青山一丁目交差点付近から警察機動隊による併進規則が行なわれるに至つたことが認められる。ところで、併進規制の際右のように警察官の暴行行為があつたとすればそれが違法不当なものであることは論をまたないところであり、このような違法行為自体は十分追及されるべきであるのは勿論であるとはいえ、その余の採証活動や機動隊による併進規制等の警察官の行動(警告措置については後にふれることとする。)については、前掲記各証拠によれば、いかなる集団行動に対しても無差別的、画一的に行なわれたものではないことが明らかである。もつとも、機動隊による併進規制は、現状においてはいたずらに集団行動参加者をして機動隊に対する反撥感を抱かせ、双方の間に摩擦を生じさせる結果となつていることが認められるのみならず、それが集団行動のもつ示威的要素を著しく減殺するものであることに徴し、その行使についてはなお十分慎重でなければならないが、本件各集団行動にあつては併進規制の措置が講ぜられない限り、これら集団行動参加者による前記適法と認むべき許可条件に違反する行為が予定コースの相当部分において、なお繰り返されるであろうことが一応看取しうる段階に至つてはじめて講ぜられたものであると認められるから、その後集団示威運動ならびに集団行進の終了に至るまで併進規制が続けられたとしても、これをもつて直ちに警察官の措置を違法不当なものということはできない。
(3) 弁護人は「都公安条例第三条による許可条件は集団行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合にのみ付しうるにすぎないのに、実際には、本件の場合にも別紙(一)、(二)、(三)の如く集団自治に対する不当な干渉であつたり、集団行動に内包する示威の要素を不当に奪い去ろうとするものであつたり、あるいは不必要ないし意味の不明無効なものであつたりするおびただしい許可条件が付されている。しかもこのような種々多様な許可条件は、一見無意味であるとして放置できるものではなく、取締側にとつてはその一つ一つの許可条件が即時強制の対象となるものとして機能するのであつて、このような条件付許可処分は憲法第二一条に違反する。」と主張する。
本件昭和四〇年一〇月五日、同年一一月二六日の各集団行進ならびに集団示威運動について別紙(一)、(二)、(三)の許可条件が付されたことはその主張のとおりであり、しかも、本来都公安条例第三条による許可条件が如何なる性質のものであり、如何なる場合に如何なる許可条件を付しうるものと解すべきかについての当裁判所の考え方は既に詳述したところである。そこでこのような観点から別紙(一)、(二)、(三)の各許可条件を仔細に検討するならば、厳格な意味において都公安条例第三条所定の許可条件として付することが許容され、かつこれに違反する指導が同条例第五条の刑罰の対象となるものとしては別紙(一)、(二)の危害防止に関する事項のうち鉄棒、こん棒、石、(別紙(二)についてはなお裸火も含む。)その他危険な物件は一切携行しないこと、旗ざお、プラカード等のえ(柄)に危険なものを用い、あるいは危険な装置を施さないこと、別紙(一)、(二)、(三)の交通秩序維持に関する事項のうち、だ行進、うず巻き行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、すわり込み、あるいは先行てい団との併進、追越しまたはいわゆるフランス・デモ等交通秩序をみだす行為をしないこととの許可条件に限られ、しかもこれとて個々の内容についてはその規定の仕方になお十分の吟味を要するものがあると考えられる。そうだとすれば、その余の各許可条件については本来右の意味における条件としては機能しえない筈のものであり、特に旗、プラカード等の携行やシユプレヒコール等示威にわたる行為、言動をも禁ずる別紙(三)の許可条件書一、秩序保持に関する事項の3、4の各許可条件はこれらの行為が集団行動の性質に当然内包されるべきものとして、また、官公庁の事務の妨害防止に関する事項として付せられている三の各許可条件は、都公安条例が地方公共の秩序維持のために制定せられた趣旨を不当に拡大解釈したものとして、いずれも如何なる意味においても付しえない筈のものであるが、その余の交通秩序維持に関する事項として付せられている各許可条件はその一部は道路交通法上の規制措置として、またその一部は本来同法第七七条にもとずく許可条件として付せられるべきものとして、夜間の静ひつ保持に関する事項としての許可条件は、前記騒音防止に関する条例上のものとして、また秩序保持に関する事項としての許可条件は自主的統制ある集団としては当然守られるべきものとして、いずれも注意的な事項と解すべき外はない。そして、右に注意事項としてあげたものの大半は、心ある集団行動参加者にとつては許可条件として付されたか否かに関係なく、当然守られるべきものと考えられる程度のものであることは、前掲上本雅之の供述記載部分に照らしても窺い知ることのできるところである。このようにみてくるならば、たしかに弁護人主張のとおり本来都公安条例第三条による許可条件としては付しえない筈のものが本件の場合にも多数を占めているのであつて、このような許可条件の規定が不当なものであることはいうまでもないところであるが、本来各許可条件は個々独立の意味を有するのであつて、違法不当な許可条件が多数あるからといつて、当然に有効正当な許可条件まで無効とされるいわれはない。さらにこれら許可条件違反に対する警告措置についてであるが前項であげた各証拠によれば、本来許可条件によつて禁止することのゆるされない被告人等や他の集団行動参加者の行為についてまで許可条件違反としての警告が発せられた事実が認められ、このような措置が違法不当であることは当然であるとはいえ、右警告は全体としてみれば前記注意的な事項に関するものが大半を占めていることが認められるのであつて、しかも右の注意的な事項は前記のような性質のものである以上集団行動それ自体に対する侵害があつたものとまでは認めえない。
次に弁護人の右主張のうち意味の不明無効な許可条件であるとして指摘する「ことさらなかけ足行進」なるものは、これが被告人阿部、同水田、同高橋、同魚谷に対する起訴事実の訴因ともなつているので、あらためてここで考察することとする。なるほど「ことさらなかけ足行進」という言葉は法律的に熟した用語とはいえないが、「ことさら」とは、通例「わざわざ」「故意に」「わざと」等解されていることからすれば「ことさらなかけ足行進」とはかけ足行進をすべき何らの理由も見出されないのにわざとするかけ足行進の意に解されるのである。しかも、都公安条例第三条第一項但書の許可条件は公共の安寧に対する危険を抑えるに必要な最少限度のものであつて、その危険に直結するような行為を対象とすべきであることは前述したところであり、このような観点からすれば、許可条件としての「ことさらなかけ足行進」とは、もはや、集団行動参加者が統一ある行動主体たることを放棄し、各参加者の意思の赴くままの行動を是認するが如き方法でなされる極端な速度ないしは体形のかけ足行進を指称するものと解すべきであつて、指揮、指導者において集団行動参加者の行動を把握し、その規律ある統制下において行なわれるようなかけ足行進はこれに包含されないものというべきであり、このような解釈は同条例第三条の合理的な当然解釈であつて、このような規定がそれ自体無効なほどに意味の不明確なものとはいえない。今、これを本件についてみると、前記証人黄川田昭夫、同金井精一、同塙登、同小鳥勝視の各供述記載部分を綜合すれば、集会場たる明治公園を出た直後、青山四丁目交差点付近、青山三丁目都電停留所と青山一丁目都電停留所の中間付近でいずれも被告人阿部、同水田、同高橋、同魚谷の誘導、指導する各てい団が、また国学院大学前付近において被告人阿部の誘導指導する第三てい団がいずれもかけ足行進をした事実は認められるが、右各証拠によれば、明治公園を出た直後のそれは小きざみのかけ足行進であり、その後のかけ足行進はいずれもそれほど速い速度のものではなく、現に、集団行動参加者は被告人等の指導に服していた事実が認められるのであつて、このようなかけ足行進が前述したような意味での「ことさらなかけ足行進」に該当するとは到底認めえない。したがつて、被告人阿部、同魚谷、同水田、同高橋に対する判示第一の二の(一)記載の日時場所において同被告人等が許可条件に違反したことさらなかけ足行進を指導したとの訴因については犯罪の証明がないことに帰するが、右は前示認定事実と包括一罪の関係にあるものとして起訴されたものであるから、この点につき、被告人等に対し特に主文において無罪の言渡をしない。
(4) 弁護人は「本件の昭和四〇年一〇月五日、同年一一月二六日の各集団示威運動ならびに集団行進の条件付許可処分およびそれに伴なう警察の規制措置が違憲なものであることは以上(1) 、(2) 、(3) で主張したとおりであるが、さらにこのような都公安条例の運用が複雑巧妙に有機的に結合して、全体として憲法第二一条の保障する集団行動の自由を著じるしく侵害しているものである。」と主張する。
なるほど、集団行動の許可申請、条件付許可処分の手続、許可条件に対する規制措置が一貫した流れをもつものとして理解されなければならないことは弁護人の主張するとおりであるが、これは条件付許可処分のいわば縦の面ともいいえよう。しかしながら、これを横の関係としての個々の許可条件についてみるならば、本来個々の許可条件はそれ自体独立のものとして把握されうるのであつて、これが相互に有機的関連を有することが全然ないとはいいきれないとしても極めて稀薄なものであつて、これを全体として把握しなければならないとする合理的必然性は見出しえない。
三、被告人伊川に対する訴因についての判断
無許可集団行動における指導者の指導行為がそれ自体として処罰される根拠については既に詳述したところであり、しかも、被告人伊川の行動が判示第二の二の(二)記載のとおりであつたこともまた既に認定したとおりである。もつとも、前掲記各証拠を綜合すれば、被告人伊川は昭和四〇年一一月二六日の判示集団示威運動に青山一丁目交差点付近から参加したものであつて、同集団示威運動が、その後集団行進として許可された進路を通り、解散予定地点である日比谷公園西幸門に至つても警察機動隊による併進規制の解除されるまま行進を続け、ようやく午後九時七分ころ、中央区新幸橋ガード下付近で併進規制を解かれて解散したこと、解散直後ころ、被告人伊川は集団の先頭部分に出て来て、当初は新橋駅方向から、次いで数寄屋橋交差点横から警察機動隊がでてくるのではないかとの気遣いから、全速力で右新幸橋ガード下先交差点を左折し、東京駅八重洲口方向に走つたこと、右の集団行動に参加していた学生らも、ほぼ被告人伊川同様、非常な速度で同一方向に走つていたこと、その後午後九時一五分ころ、数寄屋橋交差点を過ぎた辺りで、機動隊の追つて来ないことが分り、一旦停止した後、改めて右学生らで判示認定事実の如き集団行動におよんだものであることが認められ、右事実関係からすれば、右集団行動は判示二の(一)記載の許可されたコースにおける集団行動とは別個独立のしかもその内容自体違法な集団行動と認めざるをえないのであつて、右の許可されたコースにおける集団行動において、機動隊による併進規制が解散予定地点をはるかに越えた地点まで継続されたという警察官の不当な措置があつたとしても、それだけで被告人伊川の行為を目して可罰的違法性がないとすることはできない。
四、弁護人のその余の主張に対する判断
(一) 都公安条例第四条と警察官職務執行法との関係について。弁護人は「都公安条例第四条は、警察権力の実力行使を規定した警察官職務執行法第五条の規定に照らし、その規制措置をとりうる場合の要件を著しく緩和しているにとどまらず、公共の秩序を保持するためという漠然とした概念のみを以つて、警察権力行使の要件としているのであつて、同法第五条の規定を超えた規定であることは明らかであり、憲法第九四条に違反する。」と主張する。
ところで、弁護人の右主張は本件公訴事実に対する判断にあたつて直接関連性を有するものとは認められないので簡単にふれるにとどめるが、警察官職務執行法は、警察権力の発動を規制する一般法であり、右職務執行法第八条自体において「警察官は、その法律の規定によるの外、刑事訴訟その他に関する法令及び警察の規則による職権職務を遂行すべきものとする。」と規定しているところからすれば、同法は条例においてそれぞれの地方的事情に応じその目的達成のために必要とする即時強制の権限を同法の要件とは異なる要件によつて、警察官に対して付与する旨の規定を設けることをも予定しているものであつて、このような必要性から規定されたものと認むべき同条例第四条の規定は、警察権力発動の要件を充分吟味して個別的に列挙する等規定を整備する必要は存するとしても、警察権力が同条例の許容する真に必要最少限度の範囲内で行使される限りでは、一応の合理性をもち、表現の自由を不当に侵害するものであるとまでは断定しがたいから、同法第五条に違反し、ひいては憲法第九四条に違反するということはできない。
(二) 被告人らの各行為の可罰性について、弁護人は「集団行動の権利は民主代議制をとる現憲法のもとでは重大な役割を荷うものであつて、これが十分に機能することによつてはじめて民主代議制が実質的に保障されるものである。日韓国会における度重なる不当な強行採決は正に民主主義を危機に陥し入れるものであり、これに対する抗議は集団行動の形をとつて行使される外ないのであつて、この意味において被告人等の行為は、右の権利行使であり、しかも、交通阻害も僅々三、四分程度に過ぎなかつたことからすれば可罰性を欠くものである。」と主張する。
被告人等が本件行為にでた当時の日韓条約をめぐる内外の情勢およびこれに対する国会での審議状況等は既に認定したとおりであり、このような現状に対して被告人らの有していた危機感や憤懣が、被告人らを駆りたててこのような行為に出させたものであることは十分理解しうるところである。しかしながら、本来、集団行動は平穏にして秩序正しく行なわれることが要求されるのであつて、示威の表明としてもその方法において当然に一定の限界を有すべきものであり、その限界が奈辺にあるかはこれまで詳述したところである。不幸にして、被告人等の判示行為はこの限界を超えるものであるのみならず、実質的にも違法性を有する過激なものといわざるをえないのであつて、被告人らの行為を目して可罰性がないとの主張もまた採用しえない。
以上述べてきた如く、被告人等の判示各行為は、集団行動に当然伴なう示威的行為の範疇を逸脱した違法のものであり、その他にこれを正当化するに足る理由も見出しえない。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 大矢根武晴 高木典雄 池田真一)
別紙(一) 昭和四〇年一〇月五日都学連集団示威行進
条件書
一、秩序保持に関する事項、
1 主催者および現場責任者は、集会、集団示威運動の秩序保持について指揮統制を徹底すること、
2 当日は本申請許可にかかる集会および集団示威行進のほかに、時間および場所が接着して申請許可された他の団体の集団示威行進が行われるので、その間に混乱の起きないよう特に統制を徹底すること、
3 時間および進路を厳守すること、
4 宣伝カーは、てい団の先頭または後尾に位置させ、みだりに停車または前進、後退をしないこと、
5 病院等の近くを通るときは、特に静粛を保つこと、
6 解散地集会終了後はすみやかに解散すること、
二、危害防止に関する事項、
1 鉄棒、こん棒、石その他危険な物件は、一切携行しないこと、
2 旗ざお、ブラカード等のえ(柄)に危険なものを用い、あるいは危険な装置を施さないこと、
三、交通秩序維持に関する事項、
1 行進隊形は五列縦隊、一てい団の人員はおおむね二五〇名とし、各てい団間の距離はおおむね一てい団の長さとすること、
2 だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、あるいは先行てい団との併進、またはいわゆるフランス・デモ等交通秩序をみだす行為をしないこと、
3 宣伝カー以外の車両を行進に参加させないこと、
4 行進中の宣伝カーは、正常な行進に必要な速度を保つこと、
5 旗、プラカード等の大きさは、一人で自由に持ち歩きができる程度のものとすること、
6 旗ざお等を利用して隊伍を組まないこと、
7 発進、停止、その他行進の整理のために行う警察官の指示に従うこと、
四、官公庁の事務の妨害防止に関する事項、
官公庁の出入口をふさぎ、または喧騒にわたる等、公共の事務の妨害となる行為をしないこと、
別紙(二) 昭和四〇年一一月二六日全国中央両実行委集団示威行進
条件書
一、秩序保持に関する事項、
1 主催者および現場責任者、集会、集団示威運動の秩序保持について指揮統制を徹底すること、
2 時間および進路を厳守すること、
3 各級責任者は、それぞれ役職を明示した標識をつけ、責任区分を明らかにすること、
4 宣伝カーは、てい団の先頭または後尾に位置させ、みだりに停車または前進、後退をしないこと、
5 解散地では、到着順にすみやかに解散すること、
二、危害防止に関する事項、
1 鉄棒、こん棒、石、裸火その他危険な物件は、一切携行しないこと、
2 旗ざお、プラカード等のえ(柄)に危険なものを用い、あるいは危険な装置を施さないこと、
3 点灯したちようちん等を会場、進路もしくは解散地に放置しないこと、
三、交通秩序維持に関する事項、
1 行進隊形は六列縦隊、一てい団の人員はおおむね三〇〇名とし、各てい団間の距離はおおむね一てい団の長さとする、
2 だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、すわり込み、あるいは先行てい団との併進、追越しまたはいわゆるフランス・デモ等交通秩序をみだす行為をしないこと、
3 宣伝カー以外の車両を行進に参加させないこと、
4 行進中の宣伝カーは正常な行進に必要な速度を保つこと、
5 旗、プラカード等の大きさは、一人で自由に持ち歩きできる程度のものとすること、
6 旗ざお等を利用して隊伍を組まないこと、
7 発進、停止、その他行進の整理のために行う警察官の指示に従うこと、
四、夜間の静ひつ保持に関する事項、
1 病院、学校の近くを通る時は、とくに静粛を保つこと、
2 付近の住民にいちじるしい迷惑をかけるような騒音を発し、または喧騒にわたらないこと、
別紙(三) 昭和四〇年一一月二六日全国実行委中央実行委集団行進(国会請願)(夜)
条件書
一、秩序保持に関する事項、
1 主催者は、集団行進を平穏に行なうよう指揮統制を徹底すること、
2 時間および進路を厳守すること、
3 旗、ブラカード、のぼり、横断幕、ちようちん、その他これに類する物件を携行または着装する等示威にわたる行為をしないこと、
4 放歌、合唱、かけ声、シユプレツヒコール等、示威にわたる言動は行わないこと、
二、交通秩序維持に関する事項、
1 行進隊形は六列縦隊、一てい団の人員はおおむね三〇〇名とし、各てい団間の距離はおおむね一てい団の長さとすること、
2 だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、すわり込みあるいは先行てい団との併進、追越しまたはいわゆるフランス・デモ等、交通秩序をみだす行為をしないこと、
3 車両等を行進に参加させないこと、
4 発進および停止、その他行進の整理のために行う警察官の指示に従うこと、
三、官公庁の事務の妨害防止に関する事項、
1 国会議事堂の近くを通過するときは、とくに指揮統制を徹底して、秩序ある平穏な行進を行い国会の審議および事務を妨害するような行為をしないこと、
2 国会議員の進路をふさぎ、または身辺をとりかこむ等により、その登、退院を妨げないこと、